軍用機が街の上を飛ぶことについて ~横浜米軍機墜落事件から41年~

1977年9月27日、現在の横浜市青葉区荏田北3丁目付近に、アメリカ海兵隊の偵察機が墜落し、一般市民3人が死亡、6人が負傷する事故が発生しました。 当時この事故は大きく報道され、またこの事故を題材として幾つものドラマ、アニメ映画、絵本がつくられるなど、社会に大きな衝撃と影響を与えました。


今日でもこの事故現場付近の大入公園では慰霊祭が行われているほか、港の見える丘公園にはこの事故で犠牲となった母子をモデルとするブロンズ像 「あふれる愛を子らに」が鎮魂の碑文とともに設置されています。


事故から既に41年の歳月が経過してはいますが、この事故の経過をたどると、街の上空を軍用機が飛ぶということが何を意味するのかが見えてきます。


無人の軍用機が住宅に突っ込んできた

この事故の経過をたどってみます。


  • 神奈川県の厚木基地を離陸したファントム偵察機が、離陸直後にエンジン火災を発生させます。
  • 乗員2名は緊急脱出、パラシュートで青葉区鴨志田町付近に降下し、海上自衛隊のヘリコプターで帰還しています。2名とも軽傷であったと伝えられています。
  • 一方、乗り捨てられ、無人となったファントム偵察機はその後も黒煙を上げながら迷走飛行を続けた末、住宅地に突っ込み、満載のジェット燃料が飛散した一帯は火の海となりました。


こうした一連の結果をたどると、住宅地の上空で操縦を放棄してパラシュート脱出をはかり、軽傷で生還したアメリカ兵に非難の矛先が向かいそうです。 たしかに、墜落直前の飛行経路である横浜市青葉区・緑区周辺には河川や水田など、ここに不時着を試みれば被害を軽減し得たのではないか、と想起させるような場所が現在も多くあります。


しかし、そのようにして海兵隊員2名に帰責する考え方では、逆にこの事故の本質にたどり着くことが出来ません。 この海兵隊2名がパラシュート脱出したのは、それが軍用機であるということを考えれば、合理的で正しい行動であったと言えるのです。


そしてまさしくこのことが、「軍用機が街の空を飛ぶ」ことについて、あらためて考えるきっかけを与えてくれます。


民間機と軍用機の思想的違い


もし、これが軍用機ではなく、民間機、それも、私たちに身近な旅客機であった場合と比較して考えてみます。


旅客機のパイロットが、飛行中にトラブルを起こした飛行機に、乗客を残したまま自分たちだけパラシュート脱出をするということはあり得ません。 旅客機のパイロットは全ての乗員と旅客の生命に対して責任があり、その責任を飛行の中途で放棄する選択肢はありません。日本航空123便の副操縦士は、御巣鷹山の尾根に激突する最後の瞬間まで操縦桿を放しませんでした。


一方、軍用機は少々ちがいます。 軍用機には、緊急時に座席ごと機体から飛び出してパラシュートで脱出する仕組みが備わっています。民間機にはそんな仕組みはありません。


最新鋭の軍用機に搭乗する乗員を育成するためには莫大な費用がかかっています。 実戦につけるレベルにまで乗員のスキルを向上させるためには多くの時間、労力が投入されています。


その乗員が死亡してしまうと、その乗員を育成するのにかかった膨大なコストが露と消え、そして作戦にも影響が出ます。


兵士である軍用機のパイロットは、各自が自分の命の帰結を自分で決めることが出来ません。生きる自由、死ぬ自由が、兵士にはない、と考えるべきです。


地上の住民が墜落の巻き添えで死ぬことが分かっていても、機を放棄してパラシュート脱出せよと命令されていればその通りにしなければなりません。

横浜の住宅街に墜落したファントムの乗員には、住民被害を避けるために自分たちの生命を危険にさらしても不時着を試みる、という選択の自由は持てなかっただろうと私は思います。


基地問題、そしてオスプレイ配備を考えるときに

技術の高度に発達した現在においても、飛行機が空を飛ぶことには常にリスクがあります。

機体に問題が発生したときにパイロットがどのような考え方のもとに、どのような行動をとりえるか、という時点で、民間機と軍用機では、上に書いたような本質的な違いがあるのです。

軍事基地の問題、オスプレイなどの新型軍用機の配備の問題を考えるとき、こうした視点から、軍用機が街の空を飛ぶということがどういうことなのかを考えるのは、必要なことだと私は思います。


関連リンク

横浜米軍機墜落事件 ウィキペディア項目

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